hogeとはワイルドカードのようなものです。日々起こった、さまざまなこと −すなわちワイルドカード− を取り上げて日記を書く、という意味で名付けたのかというとそうでもありません。適当に決めたらこんな理由が浮かんできました。
07/29/2009 ふむ [長年日記]
tDiary 2470日目
■ [戯言] なんというか
僕はもう完全に職業プログラマと化していて,コードを書くことに何の喜びも感じない.むしろ苦痛だ. 最近はもはや業務時間のうちコーディングの占める割合の少なさから,プログラマというよりも SE に近い気がするが. まあ,SE 的な調整だの管理だのという業務はもっと苦痛だ.
はっきり言って,誤解を恐れず言い放ってしまえば,僕は僕自身が面白いと思えるものを作ることができないのなら,そんなものには何の魅力もないと思っている. それが他人にとって有益かどうかなど知ったことではない. もちろん,僕と他人の利害が一致して双方が幸せになるのなら,それはそれで嬉しいのだが.
対価を貰っている以上,個人の好き嫌いでコードを書けるわけなんかない. 嫌いでも退屈でも納得いかなくても,要求に応え一定以上の成果を収め続けるのがプロというものだ (もちろん,信念を曲げてまでと言うつもりはない) が,これがあまりにも長いこと続くとさすがに辟易もしてくる. そういう意味では僕はまだアマから抜け切れていない.
何が言いたいかというと,別に何も言いたくはないのだけれど, プログラミングというか IT 技術というか, とにかくそういうものが嫌いになりそうなのよね. プライベートで「こんなの作って」って言われても 0.3 秒で No と答える自信がある.
まあもともと IT とかいうものはそんなに好きじゃなかったんだって,かなり前に気付いてたんだけどね. 好きだったのは創造であって,それが IT かどうかなんてどうでもよかったのさ.
■ [戯言] はて
Kalevala の Ty zh mene Pidmanula の冒頭がおよげたいやきくんを思い出させてびびる.
プロ=要求に応えて対価をもらうだけではなく、対価をもらうために提案するというのも十分にありだと思います。
それ以外の部分については、1万回以上同意します。
まぁまぁ飲もうじゃないか!
> RYo
そこで言う提案というものは品質工学とかそういった分野的に「潜在要求」と呼ぶのだよ.
> 雪だるま
膳を急ぐのかい?
趣味は趣味とするか、ってとこかねぇ。
職業サラリーマン化するかどうかとも言うかもしれん。
自分もそうだったし、最近読んでるMore Joel on Softwareの
最初の方のアーティクルにもあったが、満足感が無くなって
くると、対価を要求するようになってくるんだぜ。
こんな苦痛なことやらせるなら、もっと給料寄越せ、みたいな。
そういうことを言い出されたら、上司は警戒すべきなんだがな(w
対価の質と量は客観的な評価基軸になるので,あくまで主観である満足感のあるなしで対価の要求度合いが変わるのはあまりいいことではないと思うけど,まあ,言いたいことは分かる.
理屈で言えばその通り。
とはいえ、理屈で納得できなくなってくると(感情的になると?)、
現実として要求しちゃう人のが多いと思われる。
そうならない人は、仕事以外でも環境や人に対して
何かしら欲する物が存在してるんじゃないかなぁ。
全てにおいて、駄目だと感じたら、普通辞めそうなもんだ。