hogeとはワイルドカードのようなものです。日々起こった、さまざまなこと −すなわちワイルドカード− を取り上げて日記を書く、という意味で名付けたのかというとそうでもありません。適当に決めたらこんな理由が浮かんできました。
07/23/2010 うーん [長年日記]
■ [日記] つれづれ
ものを作ったということが評価されがち (実はこれもかなりおかしい.作ったものが,どれだけのコストと引き替えにどれだけ役に立ったかが評価軸にならなきゃいけない) で,陰でそれを支えたものってのは残念ながら比較的評価されにくい.
テストというと,セキュリティの一般的イメージのように,ゼロをプラスにするのではなく,マイナスをゼロにするもの,そんな認識になっている気がする.
エコとかいうのがなぜかゼロをプラスにするものとして認識されている (企業がこぞってエコっぷりを宣伝することから明らか) のは,ユーザの関心が高いと思われているからだろう.
しかし大半のユーザがエコとかいうのがなんたるかを正しく知っているわけではなく,ぼんやりと「きっといいことなんだろう」という意識を持ってるにすぎないだろう. もちろん俺も全くといって良いほど知らない. まあだから超懐疑的なんだけど.
けど同じく割と多くのユーザがテストに対して「きっといいことなんだろう」という認識くらいは持ってるんじゃないかな. テストにコストが,というなら,エコにだってコストかけてんじゃないの.
ただしエコは一般的イメージでは全体 (つまり自だけでなく他も) を対象にしているので,テストが全体対象として認識されている必要がありそう. ユーザがエコに関心を持つ理由は本質的には「エコエコしてわたくしアピールまたは『いいことした』気分を味わいたい」ということだろうから.
そんな屁理屈を途中までぼんやり考えて,めんどくさくなってやめた. エコとかテストと何の関係もないがな.
品質だとかコストだとかそういうのももちろんあるけど, 末端のプログラマがなぜテストを書くかと言えば, 一番大きな理由は他ならぬ自分自身を守るため, 自分自身の心の平穏のためだろうさ.