hogeとはワイルドカードのようなものです。日々起こった、さまざまなこと −すなわちワイルドカード− を取り上げて日記を書く、という意味で名付けたのかというとそうでもありません。適当に決めたらこんな理由が浮かんできました。
07/09/2010 むー [長年日記]
■ [日記] やばい
最近本当に頭の回転が鈍い.
ついでに記憶力もさっぱり.
こればっかりは努力で補うしかないのだろう...
そういえば昔ジャンプか何かの裏表紙に記憶術が云々とかいう広告あったよね.
何かクリスタルボーイっぽい絵の.
■ [戯言] なんだかなぁ
色々見たり聞いたりしてると,どうも仕事で酷い目に遭ってる人は大体「○○くんしかできない」「自分しかいない」とかそんな「しか」に騙されてるよね.
そんなわけねーじゃん.
そう説明したり,そう思うよう仕向けたりして低コストで使い倒してるだけだよ. うまいこと自尊心をくすぐったりとか,あの手この手を使ってね. それは,使う側が結構なやり手だってことでもある. たとえ,使われる側にとって無能に見えたとしてもね.
いなかったらいなかったなりにどうにかなる (する) もんだよ.
その人がやらなくなったとしたら,新たな犠牲者が生まれることになるだろうけど,それだけだよ.
ジャパニーズのエンプロイーはエンプロイヤーのマインドでシンクすることをフォゲットしてるネー.
07/12/2010 むう [長年日記]
07/19/2010 むう [長年日記]
■ [日記] 某所にて
大昔に遊びで作った,所属していた研究室のポスター (?) がいまだに貼られている (というか放置してるだけだろうけれど) さまを見てなごむ. まあ,作ったといっても,画像を生成してくれる Web サイトでざっくり作って微調整しただけの数分モノなんだけれど.
それにしても一体いつ作ったんだっけと思って調べてみたら,どうも 2002 年 10 月あたりくさい. そうかそういえば確かに I 研とか書いてないから再編前だよね. しかし 8 年近く貼られてることになるのか... 時の涙が見える.
ちなみにアレを作ってから 3 年後の 2005 年 7 月頃,更に不真面目の粋を極め,数枚の当たり障りないポスターと 1 枚の闇に葬られしポスターを製造してしまうわけだが,それはまた別のお話.
2002 年に作った方はマスターデータがもう手元に残っていないので,誰かがデータをバックアップしていなければ現物のみということになる. 再生成は難しくないだろうけど,もったいなかったかもなぁ. 2005 年の方は全部残してあるんだけど.
ちなみに上記を調べる過程でついでに分かったのだけれど,謎の rogue メッセージファイルは更に古く,初出は 2002 年 4 月頃らしい.
てか俺大学でホントろくでもねーことしかしてないな.
07/23/2010 うーん [長年日記]
■ [日記] つれづれ
ものを作ったということが評価されがち (実はこれもかなりおかしい.作ったものが,どれだけのコストと引き替えにどれだけ役に立ったかが評価軸にならなきゃいけない) で,陰でそれを支えたものってのは残念ながら比較的評価されにくい.
テストというと,セキュリティの一般的イメージのように,ゼロをプラスにするのではなく,マイナスをゼロにするもの,そんな認識になっている気がする.
エコとかいうのがなぜかゼロをプラスにするものとして認識されている (企業がこぞってエコっぷりを宣伝することから明らか) のは,ユーザの関心が高いと思われているからだろう.
しかし大半のユーザがエコとかいうのがなんたるかを正しく知っているわけではなく,ぼんやりと「きっといいことなんだろう」という意識を持ってるにすぎないだろう. もちろん俺も全くといって良いほど知らない. まあだから超懐疑的なんだけど.
けど同じく割と多くのユーザがテストに対して「きっといいことなんだろう」という認識くらいは持ってるんじゃないかな. テストにコストが,というなら,エコにだってコストかけてんじゃないの.
ただしエコは一般的イメージでは全体 (つまり自だけでなく他も) を対象にしているので,テストが全体対象として認識されている必要がありそう. ユーザがエコに関心を持つ理由は本質的には「エコエコしてわたくしアピールまたは『いいことした』気分を味わいたい」ということだろうから.
そんな屁理屈を途中までぼんやり考えて,めんどくさくなってやめた. エコとかテストと何の関係もないがな.
品質だとかコストだとかそういうのももちろんあるけど, 末端のプログラマがなぜテストを書くかと言えば, 一番大きな理由は他ならぬ自分自身を守るため, 自分自身の心の平穏のためだろうさ.
07/25/2010 むう [長年日記]
07/27/2010 ふーむ [長年日記]
■ [日記] むー
python や perl でプラグイン機能を持つものをたまに書くことがあるのだけれど,プラグインのさせ方に毎回疑問を持ちながら書くことになる.
大体以下のような感じなのだけれど,
- プラグイン置き場を glob する
- 特定の prefix や suffix を持つものを動的にロードする (python なら __import__,perl なら require,等)
- 定めてあるインタフェースを持たないものを除外
- 残ったものをプラグインとして register
- ご利用は計画的に.プラグインを呼んだ時に例外送出しても大元が死なないようにした上で可能ならスタックトレースをログるくらいの根性で使う
プラグイン置き場やインタフェースやプラグイン保持のためのデータ構造などを考えるのがとってもめんどくさい. 更に,プラグインの分類やリロードのサポートなど,周辺のことを考え始めると,おえーめんどくさー,となってしまう.
ある程度はしょうがないとしても (ほんとか?), こういうめんどくさい接着剤部分は汎用化してライブラリ化するのがいいはずだよなぁ,そういうライブラリ絶対誰か作ってるよなぁ,などと思いながら.
まあ探すのもめんどくさいので結局もやもやしつつも適当にやっつけで書いてしまうのだが.
今日重い腰を上げて軽くぐぐってみたら,割とみんな思い思いの方法で実装してるようで,どうも「これがデファクトなやり方だぜ」みたいなのがないくさい. プラグインシステムは機能追加のために必要なコストが最小となるようにしないと意味がないので,あまりオレオレなフレームワークにはしたくないのだけど,何だかなぁ.
イメージ的には gsignal プラスアルファといったところか.
07/30/2010 ふむ [長年日記]
■ [日記] ふむ
収容所の囚人に未来の目的に目を向けさせることは、内的療法に一層の効果があると彼は感じていた。自己放棄と自己崩壊は、自分が信じていた通りに望みが叶えられない時に起こりうるもので、すなわち失望や落胆がその人間の心を打ち負かすのである。そのような時、病気にでもかかっていれば、身体の免疫力は極度に低下し死に至るのである。
どのような生活でも、そこに何の内容も目標も持たぬ人間ほど哀れなものはない。つまり、頑張り通す意義もなく自分の存在意味は自ずから消えてしまうからだ。人生に何かを期待するのではなく、自分が人生から何を期待されているかという根本的な本質を知ることこそ、絶望の淵に沈む人間を救う唯一の手段であると彼は感じていた。そして、あることがきっかけで、彼らにそれを呼び掛けることで心理療法として試せる機会が訪れることになった。
[夜と霧 〜ナチ強制収容所での心理学者の記録〜より引用]
「反抗心のない無力な労働者を育成するには、密告を奨励し、給食を飢餓すれすれにして、ちょっぴり食い物を増やしてやると彼らにたきつけることだ。そうすれば、労働力を最大限に引き出せる。彼らの苦情など一切無視すればよい。そうすれば、人間の個性や主張など簡単に打ち砕くことが出来るのだ」
[スターリン血の粛正 〜20世紀最大の殺戮者と言われた独裁者の狂気と悪夢〜より引用]
程度に天と地との差があり引き合いとしてあまり適切ではないかもしれないが,現代の仕事やら学業やら恋愛やらその他諸々に関しても,その本質においては一緒だと思う. つまり,思い通りにならないことこそ最大のストレスであり,更に,それを認めた時に一気に崩れるということ.
自分の成すべきことが見えているなら何ら問題ではない. これが見えないから漠然とした不安を抱え心が押しつぶされていく. 逃げるように,目の前にあるものを片付けることに夢中となる. それさえもなくなると,
省略されました.続きを読むにはわっふるわっふると書き込んで下さい.
□ 雪だるま [激しく同意]
□ atzm [やっぱ記憶術の広告あったよねー ]