hogeとはワイルドカードのようなものです。日々起こった、さまざまなこと −すなわちワイルドカード− を取り上げて日記を書く、という意味で名付けたのかというとそうでもありません。適当に決めたらこんな理由が浮かんできました。
05/29/2010 ふむ [長年日記]
tDiary 2774日目
■ [戯言] やれやれ
こうあるべき,なんて言ってるうちは実現しない. そんなこと言っているうちは意識的/無意識的に関わらず制約を無視しているから. だから制約を目の当たりにした瞬間に,こんなはずじゃなかった,なんて全く意味のない言い訳をしだすことになる. 制約は元から存在しているのに,制約など見えていない,見ようともしていない,そんな制約知ったことか,くらいの勢い. 制約を認めた上で,それといかにして共存するかまで考えられていなければ,ただの絵空事,妄想の域を出ない.
夢を語るのは結構だが,その実現に向けた道のりを具体的に引けないなら,たとえ一人でもやってやるというくらいの気概がないのなら,すっぱりと諦めてしまえ. 「今はできないが...」と心の中で温めておくことも結構. ただし今できないことなんて一体いつやる気なんだ,と疑念を持たざるを得ないだろうね.
世の中の物のほとんどは妥協の産物.それは一種の制約との共存の結果だろう. 制約を無視し「こうあるべきだ」と言い続けて何も成さないのと, 制約を認めて多少の妥協をしつつでも物事を成しているのでは, 天と地との差がある. 何も成していなければ周囲に評価されなくて当たり前. それにふてくされるのは明らかな筋違い.
多分,こういうやりとりをするんだろう.
A「こうあるべきだ」 B「よしわかった期間はもう残り 3 ヶ月しかないが 1 人でやってみせろ」 A「えっ」 B「いいからやれ」 A「無理っす」
本当にやりたいなら身を粉にしてでもやれば良いだろう. 誰も手伝ってくれなかったとしても,やり通してみればいいだろう. それができない.やらない.挙げ句の果てに,やりたくない. 結局言いたいだけで本気でやりたいわけじゃないということだ.