hogeとはワイルドカードのようなものです。日々起こった、さまざまなこと −すなわちワイルドカード− を取り上げて日記を書く、という意味で名付けたのかというとそうでもありません。適当に決めたらこんな理由が浮かんできました。
03/19/2005 ふむ [長年日記]
■ [戯言] うーん
以下のようなことを言ってる人は他にもゴマンといそうだけど,自己分析の一環として,俺は俺の経験に基づいて以下の戯言を吐く.
俺は誰にでもできることしかやってない.Gentoo 然り,プログラミング然り,成果物の公開然り.
だから俺は自分をスゲーとか思わないし,むしろ「何で誰にでもできることしかできないんだろう」と悩むこともある.斬新なアイディアとか,いくら頭ひねっても出ないのはとても悲しい.
だけど,誰にでもできることだからといって誰もがやるわけじゃない.「誰にでも考え付くだろうけど,誰も実行してなかった」なんてことは結構あると思う.
もしかしたら「誰にも考え付くことで,誰にでも実行可能ではあるけど,誰も気に留めてなかった」ことも中にはあるのかも知れない.これを人は「斬新なアイディア」と呼ぶのかも知れない.
でもその評価というのは厄介で,割と人に言われなきゃ気付かないものだったりする.完璧に客観的になれないと難しい.
だからこそ,恥を恐れずに,やったことはやったこととして公開するのが一番手っ取り早いと思う.成果物のあるなしに関わらず,どんな下らないと思われるアイディアでも.だってアイディアが優れてるかどうかの判断を自分だけがしても,それは結局主観じゃないか?
もしも,アイディアや成果が客観的にもとても下らなくてひどいものならバカにされるだけ.これを恐れちゃ何もできない.もしもとても素晴らしいことだったとすれば賞賛を浴びるかも知れない.そんなこと,それこそ「やってみなきゃ分からない」部分があるんじゃないか.
もちろん,知識や経験を積めば積むほど,そのアイディアや成果を客観的に見られるようになっていくとは思う.だけど「あんたが一体どれだけの知識と経験を持ってるっての? あんたは全知全能なのかい?」なんて言われたら答えようもない.
だから余計なことは考えず,「とにかくやってみな,やるだけじゃなくてそれを公開したり,見れ!とねじ込んだりしてみな」となるわけだ.新たな道が拓けるかもしれない.
だから俺は,自分では割と下らないと思ってても,成果物を公開して,見てくれる人の反応を待ってる.実際,sf.jp に移動させた PyGTK なやつはそうして生まれたプロジェクトだったりする (最近開発停滞しててごめんなさい).
反応がなかったら悲しいけど,「まぁ反応が来るほど良いものではなかったということか」と判断する.まぁこんなうんこ日記じゃ見る人が限られてるだろうから,本当はもっと別なところでやれると良いんだろうけどね.
なかなか成果物に自信が持てないからこんなところでぶつくさ言ってることが多いけど,ちょっとでも自信のあるものがあれば関係者に「見れ!」を実行しようと思ってる.
さて,そうしたら「なぜそれをやるのか」ということだけど,俺の行動原理
- 「面白い」
- 「認めて欲しい」
- 「もしかしたらどっかの誰かが幸せになるかもしれない」
- 「スキルアップ」
の四点を満たすからだ.
1. は単純に趣味の問題で,2. は社会性によって自然と出てくる欲求,3. は奉仕の欲求,4. は向上心だ.特に 3. については語りたいところがある.
俺がここで公開したりするのは主にプログラムだけど,「これ使うことで誰かが幸せになるなら最高だよね」と,ただ「実行する」ことしか考えてなかった.実際,俺以外にもそういう人は多いんじゃないかと思う.
が,メモ帳クローンを公開して,日本語のページしか作ってなかったにも関わらず,外国人の方に「ぐぐって見つけたよ,面白いね,グッジョブ! これのコードの一部を俺のプロジェクトでちょっと使いたいんだけど,ライセンス教えてよ」とのメールを貰ったことで目覚めた.
コード自体が役に立つ!
確かに俺も人様の書いたコードを再利用したり参考にしたりして勉強してきた (もちろんライセンスを確認した上で).だけど,まさか自分のコードが人様の役に立つなんて思わないよ.
それまで「まぁどうでもいいし適当にオープンソース準拠なライセンスにしとこうかね」くらいの理由でライセンシングしてたけど,これ以来,明確な意思を持ってオープンソース準拠ライセンスにするようになった.3. の意味が二倍になるんだから.
まぁそれはいいとして.
正直メモ帳クローンなんてくだらねーって思ってた.でも,どれだけ自分自身が下らないとか思っても,人によって評価が違う.だから「こんなもん公開しても意味ねーよ」なんて思わない方がいい.極端な話,例えば Hello World 的なものだって公開すればいい.意味のあるなしは,それを見る誰かが個々に判断することだ.
実際,誰にでもできることしかできない俺でも,少しでも「誰かにとって意味のあること」ができたらしいしね.
atzmさんが感じていることが,僕の場合はそのまま学会発表にあてはまるような気がしました.行動原理のあたりが正に.
atzmさんが自分の成果を「誰にでもできること」と卑下してしまうのはもったいないと思いますよ.アイディアと同じで,ある程度の客観性をもたせた上で判断するべきだと思います.あと,まずないと思いますが,自分の成果に対しての「誰にでもできる」という思いが,そのまま他人の成果に対する評価になってしまう危険性もあります.
これからも活躍を期待してます:)
はじめまして.かずひこさんのところから飛んできました.
ふりょさんのと若干カブりますが,論文投稿にもあてはまりますよ.「これから論文を書く若者のために」にも似たような事書いてありますし.
僕は,実際にそれを実践しなければならない立場にいますが,いざやろうと思っても,「大したことやってねー」って自信が無くなって気ます.その魔のささやきを頑張って振り切ろうと努力していく過程で気付いたのは,どうもプライドも関係しているという事ですね.プライドを捨てられないと,周りと比較することで「こんなもの公表したら,自分の非力さをアピールするだけだ」という恐怖が付いてきます.
未だにこの恐怖に襲われることがあるので,どうにか捨てられるようになりたいものです.
「誰にでもできる」というのは「なせばなる」精神からきているものです.やってできないことはないはずだということですね.
……まぁ,とは言っても誰だって僕だって人間ですし,一人で何でもかんでもできるわけじゃないし,やりたくないことから逃げたくなることだってあります.なので,まずは少しでもやれる,やりたい,と思ったことをとりあえずやってみるのが良いんでしょうね.
むらけんさんの気持ちが痛いほど分かります.僕も自信持てない人なので…….プライドもあるとは思いますが,僕の場合はそれ以上に,「高すぎる目標設定」によって自信がつかないんですよね.いくらやっても「まだまだ良くなるはずだ」と自分で思ってしまうという.ポジティブなのかネガティブなのか自分でもよく分かんないですよ.
区切りをうまくつけられるようになれると良いんでしょうね.難しい…….